時代によって異なる青年像
昔は青年期は存在しなかった?!
青年とか青春という言い方がされるようになったのは明治の中頃だそうです。
それまでは、子供があって、大人があって、青年期はあまり問題にならなかった。
西洋の金田に出てきた青年期を大事にする考え方が、日本にも入ってきて「青年に期待しよう。これからの日本は青年が背負っていくのだ」と書かれています。
日本は年配者が威張っていたけど「青年こそが、日本を変えて行くんだ」と、青年に期待が掛けられるようになったようです。
そう言われても、青年にもそれ相応の苦しみがありますよね。
私たちが描いてきた青年像
「青年」というと、苦しんだり、悩んだり、自分はいかに生きていくべきかと考えたり、何が新しくてどういう風に変えていけば良いのかなどと考える姿を思い浮かべませんか?
そのような可能性と苦悩に満ちている姿(青年期像とでも言えばいいでしょうか?)それが我々の中にあったりします。
そういう青年も居るでしょうが、今の青年を見ますと、いろいろな事が大分違うぞと感じています。
『青年期平穏説』が出てきたきっかけは学生運動?
青年の可能性、新しいものをもって変革しようという気運が盛り上がったのが、1960年代。
学生運動、大学の闘争と言われ、高校や予備校までが闘争状態になった学校もありました。
高度経済成長による社会の変化これは地域連帯意識の減退、世代間の断絶、人間疎外、個性の喪失等など、若者のアイデンティティクライシス(自分らしさや自己の確立が出来ないこと)で悩んでもいました。
学生運動の激しい時、この時は若い人が物凄く頑張りました。
何とかして、社会を、大学を変えたいと。
破壊的な力は凄いものがあったけれど、改革は出来なかったように思います。
多くの若者が挫折感を味わい、そこから『青年期平穏説』が出てきました。
無気力な若者
学生運動の激しい時代が終わると「今の若者は元気がない」と言われるようになりました。
青年だからって、そんなに悩んだり、苦しんだりするわけじゃないですよね。
1980年当時の若者が持っていた価値観が描かれた「何となくクリスタル」という本がベストセラーになったりしました。(1980年頃)
高校生や大学生で「何もする気にならない」「死ぬのも面倒くさいから、生きていようか?」と考える若者が出てきたのもこの頃でしょうか。
私の所にも無気力な若者がカウンセリングを受けに来るようになり、いろいろ考えさせられました。